貧乏物語

夜中に強い雨が降ったので今朝は涼しい。台所の天井がベニア一枚の大きさで落ちたままで、スコールになればタイルの床が水溜りになるかと思っていたが夕べの雨では全体にうっすら濡れているだけだった。天井が垂れ下がっている時には数箇所に雨水が落ちるので大雨の時はたらいやバケツに半分ぐらい水がたまるのだから、ベニア一枚がそっくりはがれた方がましだ。

家主は女性で家こそ広いが90歳を越えるおじいちゃんの介護でほとんど収入がなく、妹が市場で野菜を売っていたのが現金収入で金がない。最近市場のとなりの店舗を借りて100均つまり安物の何でも屋を開店し家主が午後には店に出て妹が夕方から店に出て商売を始めたが客が少なく閑古鳥が鳴いている。どうやらこの商売は失敗だろう。そんなことに金を使ったので借家のぼくの家の天井が落ちてもそ知らぬ顔をするのも無理もない。ぼくらも月5000バーツ(15000円)と言う安い家賃で広い家を借りているのだから文句は言えない。

ぼくも日本にいたころ路地もの野菜を亀岡の畑を回って農家から仕入れて高槻の団地の路上で売ったりしたこともあるが、損ばかりして2ヶ月持たなかった。その後、同じ場所にテントを張って串かつ屋をしたがで苦し紛れにやった商売はすべて失敗し、サラ金に手を出してよけいに苦しくなった経験がある。

友人からお金を借りて返せず絶交されたこともある。車のローンが支払えず、保証人になってくれたもっとも大事な友人にも迷惑をかけたのを思い出す。

結局そのローンの支払いは金融会社に回され、保証人まで差し押さえされかけたのでぼくの絵をよく買ってくださっていた笹井さんという方にぼくの最も力作だった慰安婦を描いた30号の油絵を担保に50万円借りて金融会社に支払った。50万円の笹井さんに借りた金は今も返していないがあの絵を買ってもらったつもりでいる。

貧乏絵描きの生活は、人には清貧に見えるかも知れないが、赤貧ともなればきれいごとではない。

雨の話が風流に流れればいいのに、泥沼の話になってしまった。

世の中を

なんの へちまと思えども

ぶらりとしては

暮らされもせず

これは谷町の墓石に彫られていた、川柳をぼくの母が書き写していたものである。

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