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仕事って何だ!−転職する花ちゃんへ(1)

1.卑しいじぶん

新聞には会社の組織長が変わるとばっと氏名が載る。

今朝の新聞をみると、わたしたちの組織も大きく変わったので部長以上の氏名がでていた。

ここに名が載るということは、ええ、大したことなのですよ。。

ざっとながめていると、昔、ともに苦労した仲間の名を部長職に見つけました。

ああ、あいつが。。。

わたしは、おめでとうと思う前に、なんであいつがと思いました。羨んだのです。

そういうじぶんの浅ましさに気が付いてへこんだのだけれど、でも、もうひとりのじぶんがそんな喜怒哀楽するおのれを見ていた。

浅ましく卑しい自分だなぁ〜。。。

なぜ羨むかというと、職位という世間基準にじぶんも価値を置き従っているということです。

だから、へこんだんです。

ひとの存在価値にはさまざまな尺度があっていいはずなのに。。

むかしの同僚は、たまたま名が載ったのではなくて、たしかに彼は以前から猛烈に出世を意識していました。

本懐を遂げた?

いいえ、それは部長になろうが役員になろうが社長に成ろうが満たされぬ渇きの道なんです。

わたしもそんなことを本気で望んでいる?いいえ。。。でも、望んでいた。。

自我は騒いのだけれど、自己はそういう自我も抱えて、じゃあ、わたしはどう働きたいのかと問うてきた朝でした。。

2.花ちゃんの転進

T男とわたしと、花ちゃん。。いつも仕事を相談しあい、分担し議論しやってきました。

T男とわたしは主義主張がはっきりしていて、ひとに物申すタイプ。実行することが得意です。

納得しなければ顔に出し反発もするけれど、想いがあるので達成しようとがんばる。

けど、花ちゃんは主張はしないのです。自他を客観的に見る性格です。

T男とわたしは主張が激しく扱いにくいので、いきおい組織の上司たちは花ちゃんをいいように使って来ました。

「花ちゃん、それじゃあ体がもたないよ、たまには怒れよ」とそそのかすのだけれど、仕方無さそうににこっと笑って言われたことをやるのが花ちゃんでした。

でも、さすがに、かれだってあまりの無理難題にこぼす時がありました。

ほんとは花ちゃんだってばかげた指示にうんざりしていたのです。

分かっていても先ずは穏やかにことを進めたがる花ちゃんは人格者。

わたしとT男がぷんぷん怒る、その尻ぬぐいまでさせられるかれは、優しく穏やかなひと。

そういう構図になっていて、でも、かれはほんとは他者を繋げる調整系ではないのです。そういうことはほんとは苦手なんです

じっとこもって、音楽や映画の編集をひがな一日中したいひと。

なまじっか英語が出来るので、わたしたちも上司たちも海外とのやりとりに便利にかれを使ってしまう。

「ぼくは、ほんとにひとりでする仕事がいいんです。ぼくはほっと居ていて欲しいひとなんです。」。そうよく繰り返していました。

他者を批判も非難もしません。じぶんの美しいと思ったことをじっとひとりでやりたいんですね。

上司に認められたいなんていう、他者基準はどうでもいいんです。。

で、先日、T男とわたしに実は、と花ちゃんが打ち明けてきました。

「半年ほど前でした。朝起きたら会社に行きたくなかったんです。

ああ、じぶんはこの仕事が嫌なんだなってつくづく思い知りました。

ぼくは、みなが僕を使ってくれるけど今の仕事には向かなくて、この先の目処がないです。同じようにしていても芽がでないです。

で、早期転職制度に応募しておいたのです。来週には人事から結果が出ます。

みなさんにはほんとに申し訳ないですが、人事がOKだしたら、5月には会社を退職することになると思います。。。ほんとにすみません。。。」

そうだよなぁ〜、よくここまで頑張ってくれたよなぁ〜というのがわたしたち、同僚としての実感でした。

だって、調整なんかちっとも向いていないひとなんだもの、楽しそうじゃないんだもの。。

年末になると人事が転職希望者を募集をし希望者に新しい仕事が決まるまでの支援金を出します。退職金も早い分、割り増しされます。

募集人数が決まっているので確実ではないのですが、花ちゃんがその資格に合格すれば、かれは最大2年間かけて次の職を生活費をあまり心配せずに探せれる。。

T男とわたしは、寂しくなるけど、おめでとうと言いました。

まだ、決まったわけではないのですが、申し訳ないですと、かれ。

会社が紹介する人材コンサルタントを待たずに、既にいろいろと職探しをしているのだけれど、あっさり断られたりしてなかなかたいへんだそうです。

じぶんが得意なIT系の仕事で、今後、10年、20年と働けるところを探してゆきたいですと言いました。

奥さんは何と言ってるの?と聞くと、あなたは10年毎に大きく変えるひとだから、諦めているわとのこと。。

もともとIT系のひとなので、転職が自然だとわたしも思いました。

働くのが嫌なんじゃなくて、向かなかったり無意味だったりすることに、無理やりおのれを従わせ続けることが辛いのです。

こころの底を圧殺してまで、生活費を得るためにおのれを従属させることが屈辱なんです。

とくに、男はそういう理想論のようなことを、思い易いのです。

男はじぶんに合ったこと、じぶんがやりたいこと。それが仕事であればいいんです。

でも、じぶんに合ったとは何か?と問われると、普段からじぶん自身と対話して来た者じゃないと、迷い出します。転職はなかなか決まりません。

そんな一進一退の中で、究極、「働く」ということの意味を嫌でも見つめることになります。。。

3.働けないつらさ

仕事が無い苦しさは格別です。

じぶんにあった仕事、いい待遇という地点から、仕事を見易いですが、そもそも労働ということができないとひどく辛いものです。

生活費を得る、自己実現するなんていう表層の下には、もっとにんげんとしての根源的な欲求、願いが働いています。

それは何か?

それをよく分かって居て、転職するなり、仕事選びをしないと、虚無感やウツ、むやみな出世レースにふたたび陥るのじゃないかと思います。

新聞の組織欄を見てへこんだ後、こういうブックレビューをよみました。。。

『「仕事」とはお金を稼ぐ手段であり、「仕事ができる」とはたくさん稼いでいることだと、ずっと思っていました。

社会人になって数年が経ち、自分が安定収入を手にした頃、

バブル崩壊からずっと業績不振が続いていた建築士の父を少し見下すようになっていました。

そんな父も、僕が会社から責任ある仕事を任されるようになった31歳のとき、負債を抱えたまま他界しました。

その間際、意識があるのかないのかわからない状態でも「仕事がしたい」とつぶやいていた父。

僕はなぜそんなに仕事がしたいのかわかりませんでした。

収入をもたらしてくれる代わりに、自分を抑えて、会社や上司の指示に従うようなことなんて、気持ちのいいことではなかったですから。

しかしその後ずっと、死ぬ間際まで父がしたがっていた「仕事って何だろう?」という問いが頭の片隅から離れなくなりました。

何年もずっと。

数年後、コーチングと出会い、「これだ!これが僕の天職だ」と思って独立しました。

…が、なぜか釈然としない。そして、仲間に誘われ、本書の元になっている「セミナー」に参加しました。

何年もずっと思い悩んでいた「仕事」というものが何なのか、はっきり分かりました。

なぜ父が死ぬ間際まで「仕事」に想いを持っていたのかも理解できました。』

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4820719149/ref=cm_cr_getr_d_paging_btm_1?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews&showViewpoints=1&sortBy=recent&pageNumber=1

そのセミナーがどういうものかは知りませんが、レビューした本の内容と著者が主催しているセミナーをつうじて、このひとは根源的なことに触れたのだと思います。

「仕事=お金を稼ぐ手段」という考えは、事実そうではあるのだけれど、その表層だけでは辛いのです。

だから、転職するとき、「自分に嘘をつかない生き方、働き方」を求めてみる。

じぶんを偽り続けたから辛かったのであって、「ああ、、、じぶんらしくありたいっ」と強く思って転職するわけですから。

でも、転職してもまた同じことが再生されます。

やっぱり、じぶんの処遇や仕事への適正、会社の先々に目が行くから不満が溜まります。

転職でかなりいい給与にでもならない限り、その不満は抑えられない。

仮により良い境遇になったとしても、それは組織の要求をうまく取り込んで成果をアピールできるのかしか問われない。

つまり、いつまでも他者の基準にじぶんを曝し続ける。こころは納得も安堵もしない。。。

このレビューワーは、父が残した言葉に「仕事とは本来なんのためにするのか」と考え続けました。

それは稼業が傾き、死への病気の中で、「仕事がしたい」と念じ続けた、建築士の父の、切なるにんげんの願いにあるように思います。

良い待遇、出世、そういった表層の下に横たわっているにんげんとしての価値。。。

「男はじぶんに合ったこと、じぶんがやりたいこと。それが仕事であればいい」とわたしたちは表面的に思っています。

根源的な労働欲求って何でしょう?

お昼を食べに行き、かのじょと話をしました。。続きます。。