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スタジオライフ『エッグスタンド』Noirチーム

3月17日夜、シアターサンモールにて、スタジオライフ『エッグスタンド』Noirチームを観劇。

原作:萩尾望都 脚本/演出:倉田淳

出演:松本慎也(山本芳樹) 曽世海司(久保優二) 岩崎大(笠原浩夫)

   藤原啓治 仲原裕之 奥田努 宇佐美輝 船戸慎士 ほか

   ( )内は、WキャストのRougeチーム

「死んでるって どんな気分?」(ラウル)

ここのところ再演ものが多かったスタジオライフの久々の新作。

原作つきではあるけれど。

スタジオライフではお馴染みの萩尾望都さん原作の舞台化〜ってことで、なんとなく世界観は想像がついてたけど、予想以上に心が痛い舞台だった。ずっと前から、上演許可は取っていた〜とのことだけど、よくこのタイミングで思い切った。

古びた板を寄木にしたみたいな、いびつな開帳場の舞台が貧しいルイーズの部屋からキャバレー「花うさぎ」のダンスフロアに変わる場面転換が鮮やか。天井に斜めに吊るされた輪っかが「卵の殻」を象徴してるようで、これも良かった。セットデザインは、ここのところずっとスタジオライフ担当の乘峯雅寛さん。聞くところによると、このいびつな開帳場は『大いなる遺産』の廃屋に使われたもので、壁を取り払って床だけにしたんだとか。

これって、やはり萩尾望都さんの原作の持つ力が強い作品だと思う。

まずは人物の配置が絶妙。

イデオロギーや感情と無縁の、無垢な少年に見える殺人マシーンだけがメインでは、ここまで深みは出ない。一方で、小説や映画によく出てくるような、反戦主義のインテリ・レジスタンスと平和を夢見るキャバレーの踊り子の恋だけでは、手垢のついたエピソードでしかない。

ユダヤ系であることを隠して、ナチス・ドイツ占領下で働くキャバレーの踊り子兼ホステスのルイーズを中央において、片やレジスタンスの地下組織と親仏派のドイツ人、片やユダヤ人狩りに着手しようとしているドイツ軍将校という、まったくの逆サイドから、彼女を救おうとする青年マルシャンと少年ラウルという対比があるから、話に奥行きが出る。

そして、偶然の重なりから奇妙な共同生活を送ることになった彼らの日常の描写が丁寧なので、そこに紛れ込んでくる悲劇が際立つ。

屋根裏部屋から這い出して屋上から見るパリ市街の美しさ(このシーン、役者さんの演技だけで眼下に広がるパリの街並みを表出させて、見事だった)、公園での貧しいけれど楽しいピクニックや、心づくしのパーティーなどなど。毛布はあるけどベッドはない、屋根裏部屋には暖房はないので寒さは我慢〜というなかでも、楽しいことはあるのだ。

少年ラウルには象徴的なトラウマがあって、それは母が食卓に用意してくれるゆで卵のこと。

「孵化しなかったタマゴがまちがえられて食卓に出される 死んだヒヨコは黒い」

孵化しなかったヒヨコは、眠ったまま、自分が死んだことさえ知らないように見える。ラウルはそれを愛されすぎて束縛されていた自分に投影して、死んでしまう前に卵の殻を破って何もかも壊さなくちゃ!と思っているのだけど、未だ卵の殻の中ーー戦争で何もかもが歪んだ社会ーーを漂っていて、生きている自覚がない。「愛し愛される」という感覚が想像できないので、物をくれるひとについて行ってしまうし、「愛と殺人は同じ」と平然と言い切る。

彼は、自分と関わった人しか殺す気になれないので、「挨拶もしないで人を殺す」戦争については理解できない。そしてもちろん、定番の疑問「殺人は罪なのに戦場で人を殺すのは、なぜ許されるのか?」という質問も口にする。

けれど、おそらくラウルは、ルイーズを愛し始めていたのだと思う。

だから、感情のなかった彼が、初めて彼女にスミレの花をプレゼントするし、彼女が夢見るニューヨークへの脱出手段を手に入れようとする。「目を覚まして!」とルイーズからキスされて、無意識に涙を流す。そして、雇い主に裏切られて、彼女を救えなかった時、初めて怒りと憎しみの感情から雇い主のドイツ人高官を殺す。

うっわ〜すごい話だなぁ。

この話は、まったく救いがない。ルイーズは結局、ユダヤ人狩りのドイツ兵に追い詰められて死ぬし、ラウルの全てを知ったマルシャンは、雪の降る森で、ラウルを抱きしめながら撃つ。

「誰がお前を裁くだろう? 愛も殺人も同じだというお前を?」

おそらくルイーズがこの戦時下で生き延びる可能性は少なかったし、人間として未完成な殺人マシーンのラウルも、ある種の役割が終わったら、生きられないのは目に見えている。だから、結末としては、これしかなかったのかも知れないけれど。

「戦争は1度始まったら終わりだ」

というマルシャンの言葉が、今、この時代に聞くと、とても重い。

この話は、1984年に発表されているのだけれど。

「平和は平和のなかにしかない」って言ったのは、ルイーズだったかな? これもすごい言葉。

さて、役者さんたち。

一緒に観たオットは、ルイーズを演じた曽世さんは、いくらなんでも17歳には見えないよな?と繰り返していたけど、確かに見た目的には苦しいのは否めないけれど、もともとルイーズは17歳にしては大人びた言動をする人な気がする。原作からして17歳らしからぬ17歳なんだと思う、きっと。

ラウルが体を売っていることに気づいても「私もパリに出て来た頃は、似たようなもんだったわ」と肩をすくめ、高級ハムを持って帰って来たラウルに、「そういう客は大事にしなさい」と軽く言ってのける17歳。

ひとつは、「花うさぎ」の踊り子と言いながら、踊らない〜っていうのもあるかな。ほかの踊り子ちゃんたち、若い子ばかりでキャピキャピしていて、可愛いし。

その代わり、曽世さんらしい品の良い丁寧な作りで、戦争も差別もないニューヨークに憧れる少女の想いはよく立ち上がっていたと思う。

少年役をやらしたら劇団1のラウル役の松本慎也君。いや、もう少年にしか見えません。退団した三上俊君が34歳で「50歳になっても10代演ってやる」と言っていたのは去年のことなので、おそらくマツシンも同世代。役者さんてすごいわ。

この日は、終演後にアフタートークがあって、そこでマツシンが「稽古場ではもっと感情を出さない感じで作ってた」という話をしていた。別にダメだしもなかったし、今回はこのセンで・・・と思っていたら、あと通し稽古2回で終わりっていう時点で休憩しているマツシンの横に、倉田さんがやって来て「あれね、違うの」って言ったそうで(笑)。

「いま?」って思ったそうだけど、すぐマルシャン、ルイーズと3人で緊急会議が開かれたそう。

そんなこんなで、このラウルになりました・・・ってことだった。

マルシャン、大ちゃん。

普通にかっこいい。特に感じなかったけれど、大ちゃん的には、スタジオライフでこのような大人の役は初めてなんだそうで、周囲には「新境地」とか「新しい挑戦」とか言われているらしい。確かに、もうおじさん枠なんだものね。タッパを活かしてこれからは、包容力のある大人として頑張ってもらいたいものです。曽世さんからは「この身長で(と横に並んで見せ)、全部受け止めてくれる安心感があります」とのこと「もう、あなた(笠原さんのこと)と大くらいしか、この大きさの人いないし」とも。「僕の1個下は大しか残ってないので・・・仲良くしてます」とのこと。そうかジュニ2とジュニ3は1人づつしかいないんだね。

そのほかでは、悪役で船戸さんが復活! 正直、まだ辞めてなかったのかーと思ったけれど、なかなか良いポイントで存在感をしめしていた。ちなみに船戸さんはジュニ4で、ここも船戸さんひとりだけ。

演出的に少し不満だったのは、すべてが会話しては引っ込み、会話しては引っ込み〜の繰り返しになるので、1度くらいはベッドシーンがちゃんとあっても良かったのにってことくらい。マルシャンとルイーズがそういう関係になるところくらい、見せてくれても良かったんじゃないかな? この家にはベッドはないんだから「ベッドルーム」に行く必要はないし(おそらくワンルーム+キッチンの間取りだろうし)。

萩尾さんの漫画は、詩のようなモノローグのコマが多いので、登場人物に独り言が多くなってしまうのは、仕方ないのか。

終演後のアフタートークは、司会の笠原さんの自由度がすごくて、そっちの方が面白かった。

曽世さんに「あの人、おもしろーい」と言われていたくらい。笠原さんと大ちゃんは、同じ役を(違う時期に)やったことはあるが、Wキャストというのは初めてなんだそう。前回は、同じチームでデイジーといじめっ子シビルだったし。

前出した倉田さんのマツシンへのダメ出し。何気にマツシンが再現する倉田さんの口調が似ているらしく、笠原さん大絶賛w。

夕食は、観劇前から決めていた久しぶりの随園別館へ。

昔は、しょっちゅう行っていたのに、随分、足が遠のいていた。別に嫌いになったわけじゃなく、新宿でしっかり食事する〜というシチュエーションが少なくなったため。相変わらずの中国的喧騒の中、合菜台帽と水餃子。味は変わらず美味しかった。レジに陣取って取り仕切っているのは、おそらく先代の息子さん、顔がそっくりだったから。なつかしいな。

というわけで、いろいろ満足して帰宅。