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東京ドーム

土曜日のカープ戦に行きました。

宮國の交代が遅いとか書いてあったが、確かに遅いけど交流戦ではパリ−グ相手に6連戦が続くので、ファンはうんざりしただろうが仕方ないかな。

正直まともにブルペンが整備されてないし、信用できるのは現時点でマシソンのみでは使うだけ無駄(やらないよりは何とかしようという意思は示せるが)。

明日も満員の東京ドームでカープはドカンと景気よくいきそう。

投手では九里は自滅しそうだったけど巨人打線に助けられながら結果として勝ち投手になったけど、これがパリーグに通用するかは微妙。

西武ドームでのカープとの打ち合いが観たい。

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邪魔なのは

おめぇの方だ。

時たま本気で牽いてやりたくなる歩行者や自転車も居るのは事実だけど、不特定多数を狙うのは違うよ。

今時の若者ならネット上から端末の特定ができる事くらい知ってそうなモノだけど……なぜ投稿までしちゃったか……

このテの問題行動動画は投稿後すぐに逮捕/補導されてるって、ニュース見てたら知って……見てるわけ無いよなぁ、こんな事平気でする奴が……

投稿してなくてもナンバーで特定されて終了だろうし……

■通学路暴走「邪魔、思い知らせるため」 2容疑者逮捕

(朝日新聞デジタル - 05月27日 10:53)

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基準を守れば絶対安全か?

この種の事故、実に痛ましい。

だが、一方で気になることがある。

設置基準の位置づけだ。

最近ではレアケースだろうが、嘗て多産だった時代には、年子や年齢の近い兄弟は当たり前だった。

両親が頑張っちゃって、毎年子供が産まれる、などと言う場合、デキ婚でなければ、結婚10年目には9歳児を筆頭に0歳児までの10人兄弟姉妹と近々出産予定の11人目がいると言う可能性すらあるだろう。

全員双子だと、小学校1クラス分・・・。

でも、家庭保育なら、多分独りで観ている。

記事の論調は、紋切り型に設置基準違反を問題としている。

だが、それが問題の全てが?

家庭保育でも死亡する乳児は死亡する。

仮に保育所で一対一で保育していても、

小児ERMにいようとも、

これは変わるまい。

設置基準とて絶対安全ではない。

だが、時に設置基準を満たしていることが免罪符となったり、逆に満たしていないことのみで糾弾される。

これは適切と言えるだろうか。

確認すべきは、何故死んだかだろう。

もしその時間に自宅で就寝していたとしても死亡した可能性が極めて高いなら、設置基準や実情とは関係ないだろう。

その保育所にいたから死亡した、ならば、問題だ。

保育所 就寝中の7か月女児死亡

https://news.SNS.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4591522

優柔不断は

最悪のもの

迷えば迷うほど

人の決断力と判断力は

脳のpowerは消費され

一番良い決断ができなくなってくる

優柔不断になるほど、

最悪の選択をしやすくなってしまう

悔いなく生きたいのなら

優柔不断な自分を追いだそう!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

引っ込み思案な元パン職人が、

このまま自分の世界観が終わってしまうのは、

勿体ない!

と感じるようになり

現在、人との繋がりから様々な分野に!

好奇心が強く

協調性の無さがアピールポイント!

自分なりの新しい世界

”変”を個性に!

個性を魅力に!

変わる゛キッカケ゛お伝えしています!

悩んだ時は、

一番始めの直観を信じて

古戦場めぐり「戊辰戦争・旗巻峠の戦い(宮城県丸森町)」

古戦場めぐり「戊辰戦争旗巻峠の戦い宮城県丸森町)」

◎『戊辰戦争旗巻峠の戦い

旗巻峠の戦い」は戊辰戦争時、仙台藩相馬中村藩の境にある要所を巡って行われた、新政府軍と旧幕府軍との一連の戦いの総称です。戦いの結果、旗巻峠と駒ヶ嶺は、新政府の制圧するところとなり、仙台藩戊辰戦争において初めて領内に新政府軍の侵入を許しました。仙台藩は、数度に渡り奪還のための兵を送りますが、いずれも失敗に終わって、藩論は降伏へと傾くことになります。

元は、会津藩庄内藩の朝敵赦免を目的として結成された奥羽越列藩同盟ですが、長州藩士・世良修蔵の殺害によって新政府との対決に大きく舵をとり、北方政権の樹立を目指していました。相馬の中村城からは、陸前浜街道仙台藩へ向けて伸びており、街道は藩境で「駒ヶ嶺」(標高50m)を通過します。駒ヶ嶺は、かつて伊達政宗が相馬氏から奪った要害でしたが、今回は新政府を防ぐための重要防衛拠点となりました。中村城の北西には、標高260mの旗巻峠があり、旗巻峠からは中村城を眼下に一望できる上、峠を駆け下りれば一息に中村城を強襲できる位置にありました。仙台藩は、駒ヶ嶺と旗巻峠の2ヶ所を重要な拠点と定め、それぞれに兵を配置しました。駒ヶ嶺での戦闘は、砲撃から白兵戦に至るまでの激戦であり、新政府軍の死者は26名、怪我人は160名を数え、仙台藩の死者は32名、怪我人78名を数えました。新政府軍はとうとう仙台藩領に進出し、占領した駒ヶ嶺に兵力を集結させました。

旗巻山(標高260m)は、峠路をもって相馬領に通じ、中村を指顧する仙台藩の戦略要地とされています。明治戊辰の役で、浜街道の要衝・駒ヶ根が落城後、旗巻は仙台藩最後の拠点となり、参政鮎貝盛房の指揮下、仙台藩を主力に米沢・庄内・旧幕臣若干を加え、歩兵15小隊1200名、砲4門をもって守備し、8月20日山上より椎木〜大坪間を砲撃し西軍を撃退しましたが、9月10日夜、薩摩・長州・筑前・因州・相馬の新政府軍(西軍)は、山径を潜行して仙台藩の夜襲部隊と激突し、翌朝に至り新政府軍は隊を二分して、北方に迂回して山上に迫ります。仙台藩前島勘太夫は、槍をふるって敵3名を刺殺、11名を傷つけて戦死するなど、血戦しましたが敗れ、陣屋を焼いて退却しました。仙台藩の戦死46名、米沢庄内15名。時すでに仙台藩は降伏を決し、11日に兵を撤することになりました。

○「旗巻古戦場跡」(丸森町大内字青葉上149-13)

「旗巻古戦場」は明治元年(1868)9月、戊辰戦争仙台藩と新政府軍が戦った古戦場です。奥羽越列藩同盟のなかで一番の大藩である仙台藩ですが、いまいち戊辰戦争ではぱっとせず、長岡藩や庄内藩の方が目立つ戦いをしていました。旗巻古戦場は、仙台藩の少ない戊辰戦争の古戦場で、現在は古戦場公園として整備されています。説明板に、次の説明があります。

「旗巻の名については、前九年の役の頃、源頼義・義家父子の軍が安倍貞任を討つため、騎馬に旗をたてたまま峠を越そうとしたが、森林が深く通行を阻まれ旗を巻いて通ったという言い伝えによるもの。戊辰戦争の頃、旗巻は中村城を眼下に出来る場所として仙台藩の重要な戦略拠点であった。浜街道の駒ヶ嶺城が落城してからは、旗巻は仙台藩最後の拠点として残り、北進する西軍を阻止する体勢にあった。明治元年、細谷十太夫の率いる仙台衝撃隊(からす組)を含む仙台藩勢を石田正親、鮎貝太郎平が指揮し、更に庄内藩米沢藩の応援も得て砲4門を主軸に兵1200名で守備していた。山が峻険のため、西軍は正面からの攻撃を攻めあぐねていたが、9月10日夜奇襲で椎の木方面より攻め込み、一気に山上に迫る気勢を示した。西軍は鬼石あたりで激突したが、東軍により後方を遮断される危険を感じて旗巻陣は総崩れ陣屋を焼いて大内方面へ退却した。態勢をたてなおし戦おうとしたが9月11日仙台から降伏使節が青葉に着いて「これより追撃無之事」と協定が成立し、戦いは終わった。各藩は夫々兵を引き上げ、戊辰戦争中、仙台藩にとってこの地

が最後の戦場となった。」

【旗巻峠】

旗巻の名の由来は、天正13年(1589)伊達政宗の初陣となる相馬との合戦で、伊達勢に利が無く、この地で旗を巻き「さんさ時雨」を歌いつつ引き揚げたという故事によるものです。戊辰の頃、旗巻は相馬の中村城を眼下に望見できるところとして、仙台藩の重要な戦略拠点でした。周辺のおおまかな地図を見ると、「南北砲台跡」や「仙台藩士戦士塚」などがあるようです。

仙台藩士戦死塚】

ここは明治元年9月、戊辰の役における仙台藩と官軍との激戦地で、仙台藩士戦死塚、庄内藩士戦死塚が地元の人々により建てられました。仙台藩士戦死塚には、次の説明があります。

「この塚には戊辰戦争に際し、明治元年閏9月10日、旗巻峠付近の戦闘で戦死された仙台藩志の方々が葬られています。」とあり、次の説明板に、「数多くの供養碑が建てられてある事からこの地は古来供養と呼ばれている。猫碑には?右 さの??左 あふば?と刻銘されている。猫は方向感覚に秀れていることから、供養のほか道標をも兼ねたものと推察され、かつて、ここは佐野、青葉への追い分けの地であったことを物語っている。猫の道標は県内でも珍しいものである。」

【旗巻峠の古戦場碑】

明治元年 (1868) 9月、旗巻峠で再び熾烈な戦いがありました。相馬方面から攻める薩長土肥連合の新政府軍に対抗する奥羽越列藩同盟軍は、峠を扼 (やく) し、山頂に砲塁を築くなどの堅固な陣を備えて迎え討ったのですが、殷々 (いんいん) と砲声が鳴り響く血戦も、武器の性能が優る政府軍に有利な展開となり、同盟軍側の敗北となってついに降伏します。丸森町では、この戦いで奮戦した仙台藩士細谷十太夫が揮毫 (きごう) した「旗巻古戦場之碑」を建立しました。

【旗巻山と南北砲塁跡】

併せて「南北の砲塁跡」を整備し、史蹟の保存を計っています。北砲塁に向う遊歩道は古戦場碑の背後に延びて、400m先が旗巻山(標高259m)の山頂近くで、砲台が築かれたという名残は何もなく、ただ草叢に4等三角点が潜むだけです。東に展望が開いて、相馬市外と工業港、赤い煙突の火力発電所などが見え、その先は茫洋とした海が広がっています。赤松の大樹が繁る旗巻山頂は、それは趣のあるところでしたが、昨今の里山はどこも同じで、松くい虫の跳梁が留まることなく枯死した松が哀れです。遊歩道を行くと「旧道旗巻峠」の碑があり、昭和9年に廃道となっています。ここは、宮城県とお隣の福島県の境で、山の向こうは福島県相馬市になります。なおも遊歩道を南東に辿ると、やがて右手に溜池が現れ、くるり半周して沼から離れて檜の植林地の中をつづらに登ると、展望の良い尾根に着きます。眺めは雄大で、羽山 (標高275m) 、羽黒山 (標高346m) などの山並みが真近に迫り、相馬街道が俯瞰できます。この場所は、戊辰の戦いで政府軍に初めて砲弾を発射し、開戦の火蓋を切った南砲塁の跡地になります。

【編集中】5/26(金) 横浜バロック定期演奏会@横浜みなとみらい

5/26(金) 横浜バロック定期演奏会横浜みなとみらいホール小ホール

出演:Vc 村中俊之、Comb 平野智美(開場18:30 開演19:00)

http://www.yaf.or.jp/mmh/access/index.php

OB総会及び懇親会

今日は退職した会社のOB総会兼懇親会が午後6時から有ります。

僕は万年幹事?みたいなもので出席者からの会費を戴いたり飲み物を注文したり宴会の最後は懇親会の費用の支払等が有るのであまり飲んでもいられない損な役なのですが・・・昨年は懇親会も終わり支払いに行ったら予算オーバーでした(*_*;

誰かがこちらに話さず勝手にお酒を頼んだようです(^_^;)

今年はそんな事の無いように会場のお店の方にもこちらを通さずお酒を出さないように話をしておこうと思っています。

こんな気遣いをせずゆっくりと会員との談笑やお酒を飲みたいと思いますが今年もお預けです(*_*;

来年の話をすれば笑い話になりますが来年こそはこんな役を返上してユックリ懇親を深めたいと思います(^_-)

今日の午後から近くの五智公園へ行ったらどうした事かあちこちの保育園や幼稚園そして一年生?達で大賑わいでした。

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こちらは関係ない方面へ散歩して来ました。

水芭蕉も時が経ては゛お化けのような大きな葉になります。

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